今回のオリックスバファローズ、選手紹介は【吉田一将】選手です。※以下、敬称略
オリックスファンになりたての方に向けて書いていますが、オリックスファン歴が長いぜという方にも「意外な発見」があったら良いなという想いも持って記事を作りました。




オリックス オリックス 吉田一将【高校時代はケガに悩まされた。大学以降で一気に能力開花】
生年月日:1989年9月24日
出身地:奈良県橿原市
身長・体重: 191cm 95kg
投球・打席:右投左打
ポジション:投手
2013年ドラフト1位でオリックスバファローズ入団。
出典元Youtube professionalbaseballpa 【プロ野球パ】ルーキー初記録 オリックス・吉田、2度目の先発でプロ初勝利! 2014/04/20 L-Bs より引用
プロ入り前
吉田一将選手がプロ野球選手になるまでを振り返ります。



小学校2年生から野球を始める
小学校2年生の時から野球を始めました。
中学時代は「香芝ボーイズ」に所属し3年生の時に全国大会に出場しました。
そして同じ時期に青森山田中学に転入し、青森山田高校に進学することとなりました。
青森山田高校時代
青森山田高校の時、2年夏・3年夏にチームとして甲子園に出場しました。
しかし、吉田一将自身は登板機会がありませんでした。
身長の急速な伸びに身体全体の成長がついていけない為、慢性的に故障を抱えていたのが登板機会がなかったことの要因の一つになっていました。
日本大学時代
日本大学に入学後のリハビリと本格的なウエートトレーニングが功を奏し、基礎体力がついてケガが無くなりました。2年春にリーグ戦デビューをして3年春からはエースとして登板することになりました。
最多4勝で2部の最優秀投手賞を受賞しました。4年春にはチームを1部リーグ復帰に導きました。
大学時代は東浜巨や島袋洋奨らと投げ合った経験がありました。
JR東日本時代
JR東日本に入社して1年目から公式戦に出場しました。
夏の都市対抗でエースとして準優勝を果たしました。
決勝戦では3-1とリードしていましたが、6回2死から連打を浴びたところで降板しました。その後リリーフ投手が逆転となるスリーランホームランを打たれるなど敗れて連覇を逃しました。
日本選手権でも2勝し敢闘賞に輝きました。1年目から主要大会8勝(二大大会4勝)を記録しました。
12月には日本代表としてBFA亜細亜選手権に出場し、開幕投手と胴上げ投手を経験しました。
社会人2年目は初優勝となった四国大会でMVPを獲得しました。決勝で1失点完投勝利をおさめました。
夏の都市対抗では決勝進出しましたが、ENEOSに敗れ、二大大会3連続準優勝という悔しさを味わいました。
この夏の都市対抗の1回戦の王子戦では8.2回11奪三振無失点。準々決勝の日本製紙石巻戦では8回1死までパーフェクトピッチングの2安打無四球完封勝利をおさめました。17.2イニング連続無失点を記録しました。
決勝のJX-ENEOS戦では2回表に打球の直撃を受けて1.1回3奪三振で無念の降板となったのでした。
社会人2年目は年間7勝(2完投1完封)で2年連続の最多勝。石川歩らを抑えてベストナインに選ばれました。
2013年ドラフト1位でオリックスバファローズに入団しました。



ドラフト前に複数球団による競合が予想されるほどの逸材でした。
しかし、結果的にオリックスの単独指名となりました。
スカウトのコメントを見る限りコントロールが評価されていました。
プロ入り後
ここからは吉田一将のプロ1年目(2014年)から振り返ります。
2年目までは先発としてローテーション入り
2014年、ルーキーながら開幕直後の4月6日(西武戦)に先発投手としてプロデビューをしました。
初勝利は4月20日の西武戦でした。以降の登板では制球が安定しなかったのもあり交流戦期間中に二軍落ちとなりました。
1軍復帰した7月には3試合19.1イニングで1失点と安定した結果を残しましたが終盤に再び調子を落として、1年目は5勝6敗と負け越して終えました。
2年目(2015年)は開幕前に左脇腹痛を発症し、5月26日のDeNA戦でシーズン初登板をしました。4点の援護をもらいましたが1回1/3、3失点で降板しました。翌日に二軍落ちとなりました。
8月に1軍復帰して先発として5試合に登板しながら全敗。9月中旬からリリーフに転向しました。
9月10日のロッテ戦で2015年初勝利。
9月12日の同カードで初ホールドを記録しました。
シーズン終了後、山﨑福也と共にプエルトリコのウインターリーグへ派遣されました。
帰国後の契約更改の時に9歳年上の一般女性と1月に結婚したことを公表しました。



2016年~中継ぎへ転向
リリーフとして4月中旬に一軍昇格をしました。
4月19日の楽天戦でプロ入り初セーブを挙げました。
塚原と共にセットアッパーとして活躍しました。
塚原と並んでチーム2位の54試合に登板。5勝2敗1セーブ21ホールド(チーム最多)防御率2.66という成績を残しました。
2017年も29試合に登板しました。
2試合は先発として登板し、9月29日のロッテ戦でプロ入り初完封勝利をあげました。
2018・2019年は調子の波が激しく勝利の方程式に入るまでの活躍は出来ていません。
近年固定しきれていない「8回の男」を目指しています。



人柄
ここからは野球の成績面以外にも目を向けていきます。
オーバースローにフォーム変更が転機
大学卒業まではスリークォーター気味の投球フォームでした。
JR東日本に入社後に投手コーチの助言で長身を活かしたオーバースローに変更したことで潜在能力が一気に開花したそうです。
先発?リリーフ?どっち??
2016年にリリーフに役割が変わり結果を残したことで、主にリリーフとして登板が多くなっています。
次の年の2017年もリリーフでしたが、シーズン最終盤に先発として完封勝利を収めました。
チーム内でも「先発としての能力」も評価されています。
どっちでも出来るということで起用法に悩みそうです。
吉田一将本人は今シーズンの目標を「50試合登板」としていますので2020年は中継ぎとして調整していくようです。
本人も認める首の長さ
吉田一将は優しくて、しかも真面目な性格なので待ち合わせ時間よりもかなり早く到着します。そうなると自然と人を待つ時間が長くなる傾向があるため首が長くなったのか?
という作り話が出来てしまうくらい、一目瞭然で「首が長い」です。
俺のここを見てくれ・・・首の長さ
俺をこう呼んでくれ・・・キリン
と本人が答えていますので自分でも認めているようです
この記事を書くにあたり、公式ガイドブックを読み直すまで「首の長さには触れないでおこう」と思った自分が逆に恥ずかしくなりました。
まとめ
今回は、2013年ドラフト1位の吉田一将選手の紹介記事を書きました。
「身体の成長の急激すぎて慢性的にケガを抱えていた」という聞いたことがあるようで無い逸話を持っています。スカウトの話で「アマチュア時代ケガをしていた選手は伸びしろがまだある」というのを聞いたことがあります。
高校3年間、満足に出来ていなかったのが大学以降(特に社会人時代)の急成長につながったのではないかと思います。
吉田一将投手の写真を見ると分かりますが、リリースポイントの所を目で見ながら投げています。基本的にキャッチャーの方に目線が行っている選手が普通なので特徴的な部分と言えます。
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