今回のオリックスバファローズ、選手紹介は【山崎福也】選手です。※以下、敬称略
※僕のYouTubeチャンネルから引用しています※
オリックスファンになりたての方に向けて書いていますが、オリックスファン歴が長いぜという方にも「意外な発見」があったら良いなという想いも持って記事を作りました。




オリックス 山﨑福也【脳腫瘍を克服したドラ1左腕】
生年月日:1992年9月9日
出身地:埼玉県所沢市
身長・体重: 188cm 88kg
投球・打席:左投左打
ポジション:投手
2014年ドラフト1位でオリックスバファローズ入団。
出典元Youtube パーソル・パ・リーグTV公式 【伝われ②】『左腕の縦に大きく割れるカーブ』が好きな人 より引用
個人的にこういう「山なりカーブ」見ていて好きです。
プロ入り前
山﨑福也選手がプロ野球選手になるまでを振り返ります。



小学2年から野球を始める
所沢市立北小2年のときから新所沢ライノーズで軟式野球を始めました。
ピッチャーとして始めました。(サウスポーはピッチャーやらされがちですもんね
向陽中学時代は所沢中央シニアで4番・ファースト兼ピッチャーでした。
高校進学前の健康診断で脳腫瘍の診断を受け、6時間にも及ぶ大手術を経験しました。
ちなみに、父親は元プロ野球選手の山崎章弘さんです。(巨人1979年2位)
日大三高時代
1年秋にファーストとしてベンチ入りを果たし、2年春にはレギュラーに定着しました。
2年夏の西東京大会では13打数6安打10打点の大活躍で5番打者として4年ぶりとなる西東京大会優勝に導きました。
つづく、夏の甲子園では「5番ファースト」として2試合にスタメン出場しました。
7打数1安打と活躍することが出来ず、東北高校に2-3で敗れました。
2年秋には主将を任されましたが、肩痛により思うように登板が出来ませんでした。
3年春のセンバツ甲子園では全5試合で先発をして38年ぶりの準優勝を達成しました。
野手としては5番打者として毎試合ヒットを打って、大会タイの13安打を記録しました。
投手としては3戦連続完投勝利を記録しました。(準々決勝では敦賀気比を3安打完封)
決勝では島袋がいる沖縄の興南高校と投げ合い、敗れました。延長11回11安打5失点と粘りの投球を見せました。しかし、12回途中で降板しています。
3年夏は準々決勝で日大鶴ケ丘に延長14回5-6で敗れました。
山崎の投球内容としては先発で8回途中9安打5失点でした。
当時のメンバーで一つ下の学年に(現阪神)高山俊選手が在籍していました。
明治大学時代
明治大学進学後は、1年秋からリーグ戦に出場しました。
立教大2回戦に9回表1死からリリーフ起用され、最速145キロをマークする力投で大学野球デビューしています。
5回を完全救援した東大2回戦で初勝利をあげました。打者としてもセンターオーバーの決勝二塁打など3安打と活躍しました。
2年春には先発1番手の座を獲得。52イニングを投げて防御率2.05(4位)
秋のリーグ戦では主にリリーフで12試合28.2回24安打26奪三振7失点
という成績でした。
2年7月にはプロ二軍戦を経験。2試合で6回を5安打無失点という内容。
3年時にエースとして38年ぶり連覇を果たし、連続最多勝・春秋ベストナインを獲得しました。
連覇達成後の夏、日米大学野球で2度先発を務めました。
4年の春は不調になり3勝2敗という成績でチームも優勝を逃しました。
秋も山崎自身は不調で自己ワーストの1勝と苦しみましたが、2季ぶりで自身4度目となるリーグ優勝を達成しました。
2014年ドラフト1位でオリックスバファローズに入団しました。



ドラフト1位で指名された逸材だけあってスカウトのコメントも多く、ドラフト1位間違いないというものもありました。また、打撃も高評価でした。
プロ入り後
ここからは山﨑福也のプロ1年目(2015年)から振り返ります。
開幕先発ローテーションから始まったプロ生活
3月29日の西武戦で先発投手としてプロ入り初登板を果たします。
初勝利は6月5日の中日戦。プロ入り初打席で初安打を記録しました
森脇監督の後を引き継ぎ監督代行になった福良淳一さんに初勝利をもたらしました。
1軍では17試合に登板。12試合が先発でしたが、3勝6敗と負け越しました。
シーズン終了後には吉田一将と共にプエルトリコのウインターリーグに参加しました。
先発とリリーフの両方の役割を担う2・3年目
2016年は開幕2軍でスタート。
フレッシュオールスターでは7回表の1イニングを無失点に抑えました。
しかし、9月に左肩甲下筋の損傷が判明して以降は実戦から遠ざかりました。
1軍公式戦ではルーキーイヤーと同じく17試合に登板。
先発7試合、リリーフ10試合とリリーフでの登板が多くなりました。
3勝2敗 防御率3.67という成績でした。
3年目(2017年)
7月10日の北海道日本ハム戦(京セラドーム)で138球の熱投でプロ入り初完封を記録。
しかし、他の先発機会では序盤から大量失点を喫した2試合で福良監督から早期降板と試合中の帰阪を命じられました。
登板数は15。先発7試合、リリーフ8試合でした。シーズンを通して調子の波が激しかったです。
この年のシーズン終了後FAで増井がオリックスに入団したことにより背番号17から0に変更になりました。



ロングリリーフなら好投するのに・・・
2018・2019年は基本的にリリーフとして登板しました。
先発投手が早くに崩れたときなどのロングリリーフでは無失点の好投をすることが多くありました。
しかし、数少ない先発の時は結果を残すことが出来ませんでした。
2018年シーズンは1勝も挙げることが出来ませんでした。
2019年の4月13日に久々の勝ち投手となりました。この勝ちは2017年の完封勝利以来となる642日ぶりでした。
イニング跨ぎの中継ぎも重ねるなど登板数は多くなり
最終的には36試合に登板。2勝3敗1ホールド 防御率4.50という成績でした
先発登板は2度でした。
この年のシーズンオフに背番号11へ変更となりました。



人柄
ここからは野球の成績面以外にも目を向けていきます。
脳腫瘍を克服
すでに少し書いていますが、中学3年の冬に母親の勧めで病院の精密検査を受けたところ小児脳腫瘍が判明しました。
2008年3月21日に北海道大学病院で全ての腫瘍を摘出する手術を受け成功。執刀医から「野球を続けられる」ことを告げられました。
手術の翌日にあったセンバツ甲子園では兄が聖望学園高校の選手として参加しており、開会式の入場行進をみました。その後、山﨑福也は医師から「驚異的」といわれるほど急速に回復すると術後1週間で退院しました。
日大三高に在学中も地元の病院へ定期検診をうけていました。
ドラフト指名日に放送される「ドラフト緊急生特番!お母さんありがとう」で密着取材を受けていました。
オリックス入団後2017年9月に阪神タイガースの横田慎太郎選手が脳腫瘍の発症を発表した直後に「交流戦か日本シリーズで戦いたいです。リハビリは大変だと思うけど頑張ってほしい」というエールを送っています。
まとめ
今回は、脳腫瘍を克服した山﨑福也選手の紹介記事を書きました。
脳腫瘍のことは知っていましたが、高校・大学時代の成績をしっかりと見たのは初めてでその華々しさに驚きました。
ここ数年はロングリリーフ「の時だけ」好投するというイメージでしたが、2020年は先発としてまずまずの内容を見せてくれています。
球速も140キロ中盤から後半が常時出ています。もともと効果的だった遅いカーブも使って打者を翻弄しています。
とはいえ、まだ半信半疑な感じは否めませんので巡ってきた先発ローテーションの枠をつかみ取ってほしいと思います。
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