今回のオリックスバファローズ、選手紹介は【佐野皓大】選手です。※以下、敬称略
オリックスファンになりたての方に向けて書いていますが、オリックスファン歴が長いぜという方にも「意外な発見」があったら良いなという想いも持って記事を作りました。




オリックス 選手紹介 佐野皓大【小瀬の背番号41を継ぐ男】
生年月日:1996年9月2日
出身地:大分県佐伯市
身長・体重: 182cm 73kg
投球・打席:右投右打
ポジション:外野手
2014年ドラフト3位でオリックスバファローズ入団。
出典元Youtube パーソル・パ・リーグTV公式 サニブラウン級!? 佐野ブラウンが驚異の3塁打到達タイム!! より引用
プロ入り前
佐野皓大選手がプロ野球選手になるまでを振り返ります。



小学4年生から野球を始める
小学4年生から軟式野球を始めました。
鶴谷中学では大分南リトルシニアに所属しエースとして活躍。
九州大会4強入りを果たしました。
大分高校時代
1年生の秋からエースの座を勝ち取りました。
2年の春と夏の大会では投手兼センターで春には県準優勝、夏に県ベスト4の進出に貢献しました。
2年生の秋からはエースで4番というポジションで投打に活躍しました。
3年春には県大会優勝し九州ベスト8に貢献
3年夏に初めての甲子園出場を叶えました。
この甲子園出場が大分高校の野球部創部初の快挙でした。
甲子園1回戦ではドラフト候補対決と注目されました。(相手はDeNAの飯塚悟史)
13安打5失点で完投しますが、負け投手になりました。
制球力・体力が課題として上げられてはいましたが、プロ球団から資質の高さを上位評価されていました。
2014年ドラフト3位でオリックスバファローズに入団しました。



投手としてドラフト指名されました。ドラフト前も投手として評価をされていました。
涌井や岩隈のような投手になるのではと見られていました。
負け投手になったものの、甲子園で一番良い球を投げていたと評価するスカウトもいました。
高卒の投手でドラフト3位、当時背番号は「12」
若い背番号は期待の高さの表れで、焦らずにやってほしいとスカウトのコメントが残っています。
プロ入り後
ここからは佐野皓大のプロ1年目(2015年)から振り返ります。
投手として陽の目を見ることは無かった
2年目のシーズンを終えて、背番号「64」に変更されました。2年間はウエスタンリーグで登板しますが、2勝することしかできませんでした。
3年目(2017)は6試合の登板で投球回が5イニングでした。
防御率も7点台とふるわなかった上に、入団以来一軍での登板がなかったころから内野手への転向を決意しました。
プロ野球の投手としては線が細かったのもありました。また、遠投124mを記録するなどオリックスの現役選手の中で屈指の身体能力を持っていました。
シーズン終了後からショートとして再スタートを切りました。
育成契約で再スタート(激動の2018年)
2018年は背番号「121」で内野手としてシーズンをスタートしました。
7月31日には支配下登録され背番号「93」で外野手登録に変更しました。
8月20日から「両打ち」に変更しました。
ウエスタンリーグでは打撃部門ではあまり結果を残せていませんでしたが、盗塁数はチーム2位の6盗塁を記録しました。
2018年10月5日のソフトバンク戦(京セラドーム)で代走として一軍初出場を果たしました。打席に立つことはありませんでした。
シーズン終了後、台湾でのアジアウインターリーグに参加。
主に代走での出場でしたが、14試合で11盗塁を決め盗塁王になりました。
この2018年は
育成→支配下→両打ち→外野手登録
と激動の1年間でした。
自分のポジションをつかみかけた2019年
キャンプは2軍スタートでしたが、途中から1軍へ昇格しました。
14試合 打率.385 チームトップの7盗塁を記録
猛アピールの結果、プロ入り初の開幕一軍を勝ち取りました。
4月2日に代打で一軍公式戦初打席に立ちました。ソフトバンクの川原から初安打を記録しました。
7月6日にほっともっとフィールド神戸でプロ入り初ホームランを打ちました。
68試合 打率.207(右打席.234 左打席.175)
チーム2位の12盗塁
この年は侍ジャパンで「周東」が代走のスペシャリストとして注目を集めていましたが、オリックスファンは「佐野も負けてない」と思っていたはずです。
開幕一軍を勝ち取った時も「代走のスペシャリスト枠」での一軍だったような感覚でした。
左打席での結果が出ていない上に三振も多かったためシーズン終了後から右打席に専念することになりました。
左打席の姿は素人目にも「埋められない差」を感じてしまっていたのでこの判断は正解だと思います。右打席からでも内野安打を狙える『破壊的な走力』を持っています
11月8日には小瀬浩之以来10年振りの「背番号41」を付けることが発表されました。



人柄
ここからは野球の成績面以外にも目を向けていきます。
背番号41は自分で選んだ
オリックス入団後に背番号を4度変更しています。2020年シーズンから背負う背番号の変更について球団から打診された時に佐野本人が「41」を選んだそうです。
小瀬選手の出来事については「ネットで知っている」レベルだったそうです。
※小瀬選手・・・2010年春季キャンプ中に宿泊先のホテルから転落死した※
この出来事について球団から経緯を説明をされた佐野は
あまり意識はせずに「41」を自分の背番号として定着させたいという固い決意を示した。
球団側も佐野の前向きな意思を尊重しました。
96歳の女性を助けた
2016年の年明け、自主トレからの帰宅途中で住宅街の路上でうずくまっている96歳の女性を発見しました。
数百メートル離れた女性の自宅まで送り届け救助しました。
女性は股関節を骨折しており病院に搬送されましたが、大事には至りませんでした。
自主トレの一環で相撲部屋へ
同じ大分県佐伯市出身の元大相撲力士の「嘉風」が母親のいとこの友人に当たります。
(事実上、完璧な他人)
2日間、体験入門を2017年の1月にしています。
嘉風自身も、佐野の実家の焼肉料理店を訪れたことがあったという縁があったそうです。
⇩野球以外のスポーツを自主トレに取り入れている選手⇩









動物好き
実家で「ウサギ・インコ・熱帯魚・ウーパールーパー」などを飼っていたほど動物好きです。
オリックスの寮では動物の飼育が出来ないため「退寮後に動物園を作りたい」と入団時に語っていました。
2019年に同い年の一般女性と交際し、3か月目に結婚をしています。かなりのスピード婚でした。その結婚を機に退寮しています。
結婚発表の時の画像は愛犬との写真でした。
まとめ
今回は、オリックスの佐野皓大選手の紹介記事を書きました。
高校1年秋にはエースの座を掴み2年生から4番でエース。甲子園にも出場しドラフト3位でプロ入り。背番号12
と「THEプロ野球選手」という生い立ちでオリックスに入団しました。
しかし、そこから苦難の道のりでした。
野手転向・育成契約・スイッチヒッター転向、断念と様々なことがありました。
現状、レギュラーでバリバリ試合出場しているという立場ではないですが
「代走スペシャリスト」としてベンチに欠かせない選手になっています。
2020年からは右打席のみに専念するので打撃の面でどれだけ向上出来るのか楽しみにしたいと思います。
・4番でエースだった高校時代
・野手転向2年目でプロ入り初ホームラン
野手転向2年目でホームランを打てるのは相当凄いことだと思います。
将来、糸井のような選手になる可能性も充分に秘めていると思います。
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