今回のオリックスバファローズ、選手紹介は【中川圭太】選手です。※以下、敬称略
※僕のYouTubeチャンネルから引用しています※
オリックスファンになりたての方に向けて書いていますが、オリックスファン歴が長いぜという方にも「意外な発見」があったら良いなという想いも持って記事を作りました。




オリックス 選手紹介 中川圭太【ドラフト7位から交流戦首位打者へ】
生年月日:1996年4月12日
出身地:大阪府阪南市
身長・体重: 180cm 75kg
投球・打席:右投右打
ポジション:内野手(主にサード)
2018年ドラフト7位でオリックスバファローズ入団。
出典元:Youtube パ・リーグTV公式 B中川 3安打猛打賞で『今季101安打』 より引用
プロ入り前
中川圭太がプロ野球になるまでを振り返ります。



小学一年から野球を始める
阪南市立尾崎小学校1年時から尾崎ボーイズで野球を始めました。
中学生で泉佐野リトルシニアでプレーしました。
中学3年時の2011年にはAA日本代表としてU16世界選手権に出場しました。
この時のチームメイトに浅間大樹・田嶋大樹がいました。



PL学園で(事実上)選手兼監督を務める
PL学園に進学した背景には、泉佐野リトルシニアで監督の田中和人さんの影響がある。
田中和人さんはPL学園で4番を打っていました。
当時は、すでに履正社や大阪桐蔭が強かった時代でした。
田中和人さんから「PL学園へ行って復活させてくれないか。お前なら出来る」という言葉で薦められたのが影響しています。
中川はPL学園へ進学後1年の秋からファーストとしてレギュラーに定着していました。
しかし、部員の後輩への暴力行為が発覚してしまう。
それによってチームの対外試合禁止処分が6か月間。さらに当時の監督が引責辞任することになりました。
校長の正井が新監督になり、セカンドに転向していた中川が主将に就任しました。
しかし、正井は野球の経験が無かったため中川が事実上チームの指揮をとっていました。
主将就任後の秋季大阪府大会と3年夏の選手権大阪府大会でチームを決勝にまで導いています。
中川個人の成績としては、高校通算28本塁打をマークしています。
2014年秋にプロ志望届を提出しましたが、ドラフト指名されることはありませんでした。
卒業後に東洋大学へ進学しました。
ドラ1候補3人と同学年だった東洋大学時代
東洋大学へ入学直後から東都大学野球の春季リーグに出場しています。
当時2部に所属していたチームを秋季リーグ戦での優勝・入れ替え戦勝利で1部に導きました。
1部に復帰してから3季連続優勝に貢献しました。
2年秋には指名打者で、3年春・秋・4年春にはセカンドでベストナインに選ばれています。
2年秋から4季連続のベストナインということですね。なんでドラフト7位だったんだ・・・と思える活躍です。
3年の時から4番打者。4年時には主将も努めました。
101試合 打率.285 109安打 9本塁打 59打点 7盗塁
3年夏の時に出場した日米大学野球では
打率.500 打点13 共に大会トップ
という成績を残しました。
堂々の実績を背景に
2018年ドラフト7位でオリックスに入団します。
同学年のチームメイトだった「上茶谷」「甲斐野」「梅津」がそれぞれ1・2巡目指名されていたこともあり、注目度は低めでした。



プロ入り後
ここからは中川圭太のプロ一年目(2019年)を振り返ります。
キャンプは2軍スタート。そこからの猛アピール
春季キャンプでは二軍スタートとなります。
オープン戦の出場はチーム事情による1試合限定の3月9日の巨人戦のみとなりました。
2安打1打点を記録し活躍をしました。
その後、2軍の公式戦に出場をして好成績を残し続けました。
4月下旬に一軍への切符を手にしました。
そして、最大のアピールになったのが4月24日の初スタメンとなったソフトバンク戦
9回表、相手投手はソフトバンクの抑えを務めていた森投手。
1死3塁から粘ってライトへの同点三塁打を打ちました。
ここでオリックスファンの心を掴みました。
その後も1軍で出場を続けました。外野をしたりクリーンアップでも起用されました。
5月10日のほっともっとフィールド神戸での試合でプロ入り初ホームランを記録しました。
ルーキーとして史上初の交流戦首位打者
2019年の交流戦では18試合すべてに出場をしました。
交流戦の規定打席に到達した打者の中で最高打率(.386)をマーク
新人選手としては史上初の交流戦の首位打者を獲得しました。
交流戦の終盤から初の4番でのスタメン起用の試合となった6月29日の西武戦まで6試合連続の複数安打を記録しました。
これは、パ・リーグの公式戦の新人選手の連続試合複数安打記録になります。
いろいろな守備位置で出場
中川の守備位置はどこ?
と聞かれると「・・・ライト?」と言う感じでファンですら迷ってしまうくらい様々なポジションを守りました。
1年目は結果的にチームで3番目に多い111試合に出場しました。
・外野・・・50試合
・一塁・・・41試合
・三塁・・・33試合
というような感じです。全てのポジションでエラーなしでした。
※インフィールドフライの落球がありますが、記録上はエラーではない※
2020年は「サードでレギュラー」を目指しています。
ちなみに、年俸は300%の昇給率でオリックスの新人選手として歴代最高でした。
111試合 打率.288 3本塁打 32打点 9盗塁 105安打
出典元:Youtube パ・リーグTV公式 完全にアウトのタイミングで… B中川が『忍者走塁』で盗塁成功!! より引用
この走塁は、オリックスファンだけでなく野球を知っている人すべてに衝撃を与えたと思います。
人柄
ここからは野球の成績面以外にも目を向けていきます。



目標の選手は阪神時代の今岡
パンチ力もある上にミート力に定評があった東洋大学時代「今岡以上の素材」と評されていた。※今岡は高校・大学の先輩にあたる※
中川本人も阪神時代セカンドをしていた今岡を目標の選手にしています。
吉田正尚を見てプレースタイルを変えた
大学時代は4番を務めていた時期もあり、スラッガーとして活躍していました。
しかし、プロ入りしてからはホームランよりは巧打のイメージがあります。
インタビューで中川本人がこう語っていました。
「正尚さんのスイングを見て、プロの世界で自分はホームランバッターとしては勝負できない」
自分の特徴や力量を冷静に見ることが出来ているんだと思います。
母子家庭で育った
ドラフト当日の定番番組となっている
「ドラフト緊急生特番!お母さんありがとう」の密着取材を受けています。
母子家庭で女で一つで育てられました。
ある日、グローブを買いに行ったとき当時の中川少年は家庭の事情を考えて本当に欲しいグローブではなく安いグローブを買ってもらおうとします。
しかし、母親は「こっちを買おう」と高い方のグローブを買ってあげた
という話が放送されていました。
それだけでなく、PL学園の対外試合禁止の時期も重なり苦労の多い学生時代を過ごしていました。
ドラフト緊急生特番の放送中にドラフト指名されて親子で喜ぶ姿が放送され、あの姿を見てファンになった人も多いと思います。
プロ入りして、1年目から活躍をして親孝行出来ていますね。
最後のPL戦士とは言わせない
PL学園は現在野球部の活動を休止し、2017年3月に日本高校野球連盟を脱退しています。
OBの桑田さんをはじめとするOB会がマスターズ甲子園に出場するなど部活動の再開に動き出しています。
自分が最後のプロ野球選手とは思っていない。プロ野球選手を引退した時に野球部が復活していたら監督として復帰したい
プロ野球でも活躍した選手を多く輩出しているPL学園野球部が復活してくれることは野球ファンの願いでもあります。
まとめ
今回は、ドラフト7位から1年目で活躍した中川圭太選手の紹介記事を書きました。
大学時代、華々しい実績を残しながらなぜ「7位」指名だったのか。
後にスカウトの方々の話で分かるのですが「特徴が無い」というのが理由だったようです。
✅飛びぬけた長打力はない
✅ずば抜けて肩が強いわけでもない
✅足もそこまで速くはない
ということでドラフト指名するほどの特徴が無かったのが指名順位が下の方になった原因でした。
さらに7位指名となったのは他にもドラマがありました。
当初オリックスは6人の指名で支配下選手の指名は終わる予定となっていました。
しかし、ドラフト会議の最中に担当スカウトの牧田さんが「もう一枠増やして、中川を指名してほしい」と監督・球団社長に直接お願いしたそうです
大阪のPL学園出身の中川のこれからの活躍に期待して注目していきます。
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