今回のオリックスバファローズ、選手紹介は【増井浩俊】選手です。※以下、敬称略
オリックスファンになりたての方に向けて書いていますが、オリックスファン歴が長いぜという方にも「意外な発見」があったら良いなという想いも持って記事を作りました。




オリックス 選手紹介 増井浩俊【FAでオリックスに来てくれたクローザー】
生年月日:1984年6月26日
出身地:静岡県焼津市
身長・体重: 181cm 74kg
投球・打席:右投右打
ポジション:投手
2009年ドラフト5位で日本ハムファイターズ入団
2018年FAでオリックスバファローズ入団
出典元:Youtube パ・リーグTV公式 B増井 この男の活躍が上位進出のカギとなる!! 《THE FEATURE PLAYER》 より引用
プロ入り前
増井浩俊選手がプロ野球選手になるまでを振り返ります。



小学4年から野球を始める
小学校4年生の時に地元の野球少年団で野球を始めました。
焼津市の和田中学校時代にノーヒットノーランを記録。
この経験がきっかけでプロ野球選手を志しました。
後にプロ野球選手になる牧田和久さん、川端崇義さんとは同じ焼津市出身の同級生という事で小学生時代から対戦の経験があります。
高校~社会人
静岡県立静岡高等学校へ進学後に硬式野球部に所属しました。
ですが、甲子園には出場出来ませんでした。
高校卒業後は駒澤大学に進学しました。
34試合 8勝12敗
エース候補として活躍を期待されましたが、コントロールが課題でした。
4年生の時はチームは5位のなか奮闘してエースとして春秋で7勝しました。
大学卒業後は東芝に入社しました
入社3年目の2009年に実力開花。
2009年ドラフト5位で日本ハムファイターズに入団しました。



プロ入り後
ここからは増井浩俊のプロ一年目(2010年)から振り返ります。
1年目は先発ローテ―ション入り
4月9日のソフトバンク戦でプロ初登板を果たしましたが3失点で敗戦投手になりました。
以降も先発ローテーションの一員として起用されました。
4月27日のオリックス戦で7回1安打無失点の好投でプロ初勝利
5月13日の阪神戦でプロ初安打と初打点を記録
その後は右肩の故障などで一軍の登板は少なかったです。
11月8日には一般人女性と結婚しました。
2011年~2015年 リリーフ専門
2011年は開幕からセットアッパーとして起用され、前半戦は防御率1点台前半の好成績を記録しました。
この年のオールスターで馬原投手(ソフトバンク)の補充選手として出場しました。
2011年はシーズン通して安定した成績でリーグ3位の34HP。防御率1点台で飛躍の年になりました。
この年のオフ背番号が「43」から「19」に変更されました
2012年もセットアッパーとして起用。途中で抑えの武田久の故障で抑えを務めた時期もあります。6・9月に疲労の蓄積で不調に陥りながらも
パ・リーグ新記録となる45ホールド・50ホールドポイントで最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得しました。
2013年は史上最速で100ホールドを達成しましたが、打ち込まれることもあり防御率やホールド数は大幅に落とすことになりました。
2014年は開幕早々、武田久が離脱した事で抑えを務めます。
序盤はリードを守り切れない場面が目立ち、4試合連続失点など安定しませんでした。
守護神の座を譲る時期もありましたが、後半戦は25試合で2失点と精彩を取り戻し自己最多23セーブを記録しました。
2014年8月16日の西武戦で野手を使い切ったことが原因で延長11回に4年振りに打席に立ちました。(セカンドゴロ)
2015年は開幕から抑えとして君臨しました。
ソフトバンクのサファテとセーブ王を争いました。2セーブ差で競り負けましたが、自己最多39セーブを挙げました。
先発転向した2016年~オリックス入団
シーズン開幕は抑えとして迎えました。
3勝2敗10セーブ 防御率6.30
と大きく成績が悪化。6月20日に一軍登録抹消されました。
7月9日に栗山監督が増井を先発に転向させることを明言しました。
8月4日のロッテ戦で2010年以来の先発として登板しました。
5回を無失点に抑えました。
この試合、個人的にも注目して見ましたが「ニュー増井」を見ました。
8月25日に初完投
9月1日に初完封
先発8登板で6勝を挙げました。(最終的にこの年は10勝)
10勝10セーブは2000年の小林雅英以来の快挙。
9月は5試合で5勝0敗、防御率1.10
で月間MVPを獲得。日本ハムの9月の猛烈な追い上げ・優勝に大いに貢献しました。
2017年オフに国内FA権の行使を表明しました。
報道ではオリックス・巨人が獲得にの乗り出したとありましたが、実際には日本ハム・オリックスの争いでした。
「クローザーで使ってくれるのを明言したのはオリックスだった」ということでオリックスに入団を決めました。
オリックス時代(2018~)
2018年6月29日に日ハム戦で20セーブ目をあげました。
プロ野球史上4人目、日本人選手としては江夏さん以来となる
「12球団からセーブを挙げた人」になりました。
2018年はセーブ数でリーグ2位(35セーブ)となりました。
2019年は開幕からリリーフ失敗が目出しました。
シーズン中盤からセットアッパーに配置転換。
4月19日に通算150セーブ
9月2日に通算150ホールド
パ・リーグで初めての達成となりました。※平野佳寿は日米通算で達成※
人柄
ここからは野球の成績面以外にも目を向けていきます。



「抑え」へのこだわり
2016年シーズンの途中から先発ローテーションに入り結果を残しましたが、増井本人はあくまで「抑え」へのこだわりを持っています。
オリックスに入団した理由も「抑えでの起用を明言してくれたから」と話しています。
投手といえば「先発」というのが自然な流れの中、珍しいタイプの選手だと感じます。
2020年シーズンは2019年に奪われた「抑え」のポジションを再び奪うために奮闘しています。
家族想い
2010年に結婚しています。
奥様と3人の子供は東京都内で暮らしています。
シーズン中は離れ離れで過ごしています。スマホでテレビ電話で連絡を取り合っているそうです。
第2子誕生の時に送られた夫人手作りのお守りを肌身離さず持っているそうです。
漁師町の出身
静岡県焼津市は漁師の町だそうです。
マグロで有名なため練習用のグローブにはマグロのマークを刺繍しています。
オリックスに来て「漁師の町」出身ということで大漁旗を模したグッズが売られています。
まとめ
今回は、FAでオリックスに入団した増井浩俊投手の紹介記事を書きました。
増井本人は甲子園出場はありませんでした。
ですが、弟二人は静岡高校と静岡商業高校で出場経験があります。
弟のうちの一人は静岡県伊東商業高校で野球部の監督として「竹安大知」指導していたことがあります。



2018年は「増井がいなかったらと考えるとゾッとする」と福良監督に言わせるほどの活躍を見せましたが、2019年は「登場曲が流れるとファンが悲鳴を上げる」くらいの不安定さでした。
テレビ中継でも分かる「えーーー!!」という悲鳴は正直どうなんだと思いますが、内心同じ思いだったのはこれまた正直なところです。
FA宣言で「不人気球団」のオリックスに来てくれた貴重な選手です。
「えーーー!!」と言うのではなく、不安定でも応援していたいなと思います。
見た感じは全く分かりませんでしたが、2019年シーズンは「増量」して挑んでいたようです。その結果、あまり良いシーズンではなかったので2020年は「減量」してシーズンに挑んでいます。※減量したのも分かりません※
2019年後半に「抑え」の地位を確立したディクソンと争って「抑え」のマウンドに再び上がろうと今、鍛錬をしています。
個人的にはイメージとは違う「バリバリのスポーツカー」に乗っている温厚そうな増井さんの今後の活躍を期待します。
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