今回のオリックスバファローズ、選手紹介は【小島脩平】選手です。※以下、敬称略
オリックスファンになりたての方に向けて書いていますが、オリックスファン歴が長いぜという方にも「意外な発見」があったら良いなという想いも持って記事を作りました。




オリックス 選手紹介 小島脩平 【大学時代誰よりも練習した天才】
生年月日:1987年6月5日
出身地:群馬県太田市
身長・体重: 177cm 78kg
投球・打席:右投左打
ポジション:どこでも守る
2011年ドラフト7位でオリックスバファローズ入団。
出典元:Youtube professionalbaseballpa 【プロ野球パ】小島の打球がレフト頭上を越える!サヨナラヒット! 2015/08/08 Bs-L より引用
プロ入り前
小島修平選手がプロ野球になるまでを振り返ります。



桐生第一高校で甲子園に二度出場
群馬県出身で群馬の桐生第一高校で2年春・2年夏の甲子園に出場をしています。
どちらの大会でも初戦敗退していますが、センバツでは1番ライト・夏は3番サードとしてスタメン起用されています。
3年夏は準決勝で前橋商業に敗れています。
当時のチームメイトには2019年からオリックスの一員になった松井雅人選手がいます。
東洋大学
高校卒業後は東洋大学に進学して1年春のリーグ戦から出場。
2年春からレギュラーに定着しました。
4年時には主将となり春に打率.385をマークし首位打者を獲得。
同じ年の日米大学野球の日本代表に選出されセカンドと指名打者として出場しました。
秋には極度の不振になりプロ志望届を出していましたが指名漏れしています。
ちなみに、チームとしては小島がレギュラーに定着した2年春から5季連続リーグ優勝をしています。
88試合 打率.229 65安打 1本塁打 30打点 15盗塁
オリックスに入団して現在は「サブキャラ感」満載ですが、大学時代はバリバリの主軸でしかもキャプテンです。プロ野球選手になる人は全員地元のスターというのを立証しているようなエピソードですね。
大学時代に首位打者を獲得するが・・・
東洋大学4年時に首位打者になっています。
大学野球にはベストナインがありますが、小島はなんと選ばれませんでした。
その原因としてあげられていたのが、複数ポジションを守ったこと。
セカンド・・・6票
ショート・・・6票
指名打者・・・5票
3ポジション全てで2位となりベストナインに選ばれませんでした。
優勝への貢献度が高いことはこの票数からも明らかで、合計17票を集めながらの「異例の落選」となったのでした。
住友金属工業に入社
硬式野球部では1年目の2010年からセカンドのレギュラーに定着しました。
都市対抗では1番打者として4試合で打率.389の好成績を残しました。
チームのベスト4進出に貢献しました。
オリックスでチームメイトになる安達了一と共に若獅子賞を受賞しました。



2年目は東日本大震災の影響でグラウンドが液状化。内野部分しか使えないという苦しい状況の中2年連続して都市対抗野球への出場を果たしました。
好判断によって生まれる「好走塁」を見せて機動力のアピールもしていました。
2011年ドラフト7位でオリックスバファローズに入団しました。



プロ入り後
ここからは小島修平選手のプロ一年目(2012年)から振り返ります。
ヒットの半分近くが内野安打
1年目は1軍での出場はありませんでした・・・
となるのかと思ったのですが、なんと出場しています。
しかもそこそこの試合数出場しています。
2012年の8月16日に2度目となる一軍昇格をしています。
※一度目は7月ですが、出場がありませんでした。
昇格した日にスタメン起用されます。2打席目にプロ入り初安打を記録。
そこからスタメン起用のチャンスを得ました。
9月4日のロッテ戦で4安打の大爆発
しかも相手バッテリーの隙をつく好走塁で三塁から先制のホームを踏んでいます。
アマチュア時代から評価されていた「足の速さだけではない」走塁が生かされた場面でした。
この4安打の日が終了時点で打率.370でした。
しかし、その後16試合で41打数2安打と大幅に調子を落としてしまいました。
29試合 87打数19安打 打率.218 打点2
★19安打中8本が内野安打★
覚醒した2016年5月
現時点で小島が一番輝いていたのが2016年5月だと言えます。
月間打率.423を記録しています。
その年の交流戦では1番打者として出場が多かったです。
駿太ファンとしては「なんで小島なんだよ!」と思ったことが何度もありましたが、5月の活躍を見せられて「ぐうの音もでねぇ・・・」てなっていました。
一部のファンの涙を誘った(?)プロ入り初ホームラン
2017年のことです。この年は個人的なイメージで「こっそりと」開幕スタメンを勝ち取りました。
プロ入り初の開幕スタメンでした。
しかし、一塁ベースを駆け抜けた際に右足を痛めて(右ふくらはぎ肉離れ)選手登録を抹消されました。
その後6月15日に一軍に復帰。
6月24日のロッテ戦。ほっともっとフィールド神戸でプロ入り初ホームランを打ちました。
試合の流れをみると、超絶に重要なホームランだったので記憶に残っている方も多いかなと思います。
ツイッターで
「開幕スタメンだったのに、その試合でケガ。その後のこのホームランは泣けた」というコメントを見たことがあります。
※これは「いじりコメント」ではないと察している※
オリックスの選手の中でファンから(主にネット上で)いじられやすい選手ですが、ファンを良い意味で泣かせたプレーでした。



人柄
ここからは野球の成績面以外にも目を向けていきます。
「スナッカーズの謎」のその裏で
ほっともっと神戸での試合後、選手駐車場の所でサインを書いてくれるケースがあります。
先日、大城滉二選手の紹介記事で書いた
「スナッカーズの謎」が生まれた日のことでした。



「俺、スナッカーズの後輩です!!」の青年に押されながら
大城選手のサインを待っている時、だいぶ離れたところにサインに応じるためファンのもとへ歩く小島を発見していました。
大城のサインをもらったあとにサインを・・・
との思いを持って待っていました。
しかし、大城ほどの人気が無いということと大城の後に現れてしまったという不運が原因で推定4名ほどのサインを終えてトボトボと車に戻っていく小島の背中を眺めることになってしまいました。
※大城が先に現れて大半のファンが大城の元に集まった※
この小島の行動ですが
大城に群がるファンを小島は見ているはず
しかし、数少ない自分を呼んでくれたファンのためにサインに応じた
ということだと勝手に分析しました。
サインを終えて車に戻る背中がどこか寂しく映りました。
この日以降、数少ないほっともっと神戸での現地観戦後は小島のサインをもらうというのを第一目標にファンにまじってサインを待ちました。
しかし、ロメロとモヤのサインしかもらえていません。
・・・これはこれで超豪華なんだけど。
小島とは同い年(87年世代)ということで、ぜひともサインをもらいたいです。
天才と呼ばれていた大学時代
今回の記事の前半部分で少し触れていますが、プロ野球選手になった時点で地元のスターです。
2020年現在は「スーパーサブ」感が強い小島もプロ入り前のアマチュア時代は数々の功績を残しているのがここまで読んで下さった方には分かると思います。
ある日のTV番組か何かで見たのですが
東洋大学時代、小島はチームメイトから「大学の中で一番の天才」と呼ばれていたそうです。
そんな「天才」と呼ばれた男が「大学の中で一番練習をしていた」そうです。
天才と呼ばれるくらい大学の中では群を抜いていた存在におごることなく練習に明け暮れていたという事ですね。
そんな選手でもプロ入りすると「スーパーサブ」という存在に甘んじているということです。
プロ野球の世界が異次元レベルだということが分かる話ではないでしょうか。
まとめ
今回は、バッテリー以外どこでも守れるスーパーサブでありファンからいじられることも多い小島修平選手の紹介記事を書きました。
同い年という贔屓目がたぶんに入っていますが、ほっともっと神戸での姿を見てからサインをもらいたいランキング上位になっています。
大学時代に天才と言われ、しかも一番練習していた選手がプロに入ってレギュラーではない。
プロ野球のレベルの高さを実感しています。
この記事を読んで少しでも小島修平選手のことを好きになってもらえたら本望です。
誰が言ってんだっていう話ではありますが・・・
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