今回のオリックスバファローズ、選手紹介は【飯田大祐】選手です。※以下、敬称略
オリックスファンになりたての方に向けて書いていますが、オリックスファン歴が長いぜという方にも「意外な発見」があったら良いなという想いも持って記事を作りました。




オリックス 飯田大祐 選手紹介 【高校時代に夏の甲子園を3度経験】
生年月日:1990年9月19日
出身地:茨城県稲敷郡阿見町
身長・体重: 181cm 85kg
投球・打席:右投右打
ポジション:捕手
2016年ドラフト7位でオリックスバファローズ入団。
出典元Youtube BsTV-オリックス・バファローズ公式 2017年の気になる若手!!飯田大祐選手インタビュー より引用
プロ入り前
飯田大祐選手がプロ野球選手になるまでを振り返ります。



小学1年から野球を始める
阿見小学校1年生の頃から野球を始めました。
小学5年の時からキャッチャーをしています。
阿見中学校では軟式野球部に所属しました。
常総学院高校時代(夏の甲子園に3度出場)
1年夏からベンチ入りしていました。
3年連続で夏の甲子園に出場しています。
1年夏の甲子園では試合出場はありませんでした。
その後の秋からレギュラーとして活躍を始めました。
2年夏の甲子園では「8番キャッチャー」を出場しました。
後に阪神に4巡目指名される清原大貴投手とバッテリーを組み好リードで支えました。
京都外大西を相手に9回を1安打無失点に抑えましたが、延長12回の激闘の末
3-5」で敗れました。
延長になって点の取り合いになる「高校野球らしい」展開の試合と言えます。
3年夏の甲子園では8回8四死球と投手陣が乱れ、関東一高相手に「5-13」の大敗となりました。
「主将・4番・キャッチャー」でチームの柱として活躍。レフトへのソロホームランを含む4安打の健闘を見せていました。
中央大学時代
1年春からリーグ戦に出場。
2年春に故障離脱した正捕手に替わり全14試合中6試合にスタメンマスクをかぶりました。
3年春になって正捕手の座を獲得。リーグ5位となる打率.306でベストナインを獲得しました。
3月に行われた巨人との交流戦では勝ち越しとなるライトへのホームランを打ちました。
この巨人との交流戦で飯田は「捕手として見習うことが数多くあった」と話しており、捕球の仕方、投手へのコミュニケーションの取り方、練習方法などグラウンドでしか感じえない事を多く学ぶことになりました。
チームとしては3年秋に6位になりながらも4年秋のリーグで2位に浮上しました。
飯田自身は打率.115で打点0と苦戦しました。
プロ志望届を提出しましたが、ドラフト指名されることはありませんでした。
中央大学では1学年先輩に「井上晴哉」同期に「鍵谷陽平」2学年後輩に「島袋洋奨」がいました。
Honda鈴鹿時代
1年目から公式戦に出場。
2年目には都市対抗予選全6試合でスタメンマスクをかぶりました。5年振り20回目となる本大会出場を果たしました。
2割台前半という低い打率ながら投手陣を生かす守備で監督からの信頼を勝ち取りました。
本戦では一転して、6打数5安打、2二塁打3打点を記録しました。
都市対抗予選のヤマハ戦では1試合3補殺を記録しました。しかも2度犠打を阻止しました。
2016年ドラフト7位でオリックスバファローズに入団しました。



プロ入り後
ここからは飯田大祐のプロ1年目(2017年)から振り返ります。
プロ入り初安打はまだ
ルーキーイヤーの8月18日に一軍登録を初めてされました。
プロ入りして3年間毎年一軍登録をされていますが、初安打はまだ出ていません。
主戦場は2軍という状況が続いています。
プロ入り4年目を迎える2020年
「プロ初安打を!」と飯田自身も意気込んでいます。



人柄
ここからは野球の成績面以外にも目を向けていきます。
愛称は「大将」
オリックスの公式ブックで愛称のところが「大将」となっています。
それを知って見てみるとピッタリな愛称だなと感じました。
個人的には、飯田選手を見るとお笑いコンビの「チョコレートプラネットの松尾さん」にそっくりだと思います。
なんとかしてツーショットが実現しないかなと思っています。
まとめ
今回は、高校時代は毎年夏の甲子園を経験したオリックスバファローズの飯田大祐選手の紹介記事を書きました。
プロ入り初安打がまだという状況で3年を過ごしました。
捕手としてのバランスを首脳陣は認めているようです。要するに「守備型」のキャッチャーと言えると思いますが、こういうタイプの選手はファンから見ると「打てないキャッチャー」となるので印象が良くないです。
甲子園や都市対抗などで見せた勝負強い打撃をプロでも発揮してほしいなと思います。
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