今回のオリックスバファローズ、選手紹介は【比嘉幹貴】選手です。※以下、敬称略
オリックスファンになりたての方に向けて書いていますが、オリックスファン歴が長いぜという方にも「意外な発見」があったら良いなという想いも持って記事を作りました。




オリックス 選手紹介 比嘉幹貴【神っていた2014年】
生年月日:1982年12月7日
出身地:沖縄県沖縄市
身長・体重: 177cm 77kg
投球・打席:右投右打
ポジション:投手
2009年ドラフト2位でオリックスバファローズ入団。
出典元:Youtube パ・リーグTV公式 『鬼緩急』 比嘉幹貴の50キロ差投球が凄すぎる より引用
プロ入り前
比嘉幹貴選手がプロ野球選手になるまでを振り返ります。



無名だった高校時代から飛躍した大学時代
コザ高校時代、3年夏の大会では県2回戦で敗退しました。
この頃は全くの無名でした。
ちなみに
コザ高校は毎年、卒業式では生徒が作詞・作曲・演奏して卒業の歌を歌うらしいです。
これ卒業する生徒の負担がきつすぎるように感じるんですが、沖縄の人たちの場合楽しく乗り切るんでしょうか?
国際武道大学に進学して飛躍しました。
4年生の時には春秋で13勝を挙げるなどMVPを2回、最多勝2回、ベストナイン2回、奪三振王1回と大活躍でした。
日立製作所へ進む
社会人野球の日立製作所に進みましたが、初めの頃はケガが多く試合に出場することが少なかったです。
荻野忠寛がプロ入りで抜けた後、チームの大黒柱に成長しました。
ドラフト指名後に行われた社会人野球選手権大会の2回戦(九州三菱自動車戦)
で9回2死までノーヒットノーランの好投でした。
※7回2死からの死球まではパーフェクトピッチング※
しかし、そこから二者連続のデットボールを与えたところで交代。
その後の投手がサヨナラヒットを打たれたので「被安打0」で負け投手となりました。
当時のインタビューで比嘉は「最後はバテていたし、1点でサヨナラ負けなので交代は納得している」とコメントしています。
2009年ドラフト2位でオリックスバファローズに入団しました。



岡田彰布さんがオリックスの監督の時に「12球団の投手の中で牽制が一番上手」との評価を受けています。ドラフト指名される時からクイック・牽制技術に定評がありました。
プロ入り後
ここからは比嘉幹貴のプロ1年目(2010年)から振り返ります。
1年目からリリーフとして活躍
2010年シーズンはケガで開幕に出遅れましたが、シーズン途中からリリーフとして活
9月4日のソフトバンク戦では2死満塁の場面で登板しましたが、多村仁志を三球三振に抑えました。その裏に大引の決勝打があったので一軍での初勝利を挙げました。
24試合 防御率1.25 右打者の被打率.151
2013年プロ入り初開幕一軍
この年は自身初となる開幕一軍を勝ち取りました。
開幕戦へリリーフとして登板しましたが、2失点を喫して敗戦投手になっています。
さらに、翌日の試合で1アウトも取れずに降板。開幕戦から2試合で登録抹消されました。
4月後半に一軍へ復帰しました。
そこからは好調を維持しました。
5月には12試合の登板で自責点0の好投でした。
連投が続いた6・7月にやや調子を落としましたがシーズンが終わるまで一軍のリリーフに定着しました。
59試合 11ホールド 防御率2.12
神と呼ばれた2014年
2014年はオリックスは6回終了時点でリードしている時の勝率が素晴らしかったです。
それは、盤石のリリーフ陣がいたからこそなのですが比嘉は当時の監督、森脇浩司から「切り札」と称されていました。
それほどの信頼を背景に佐藤達也・馬原孝浩・平野佳寿と共に「勝利の方程式」に組み込まれました。
34試合連続無失点というパ・リーグのシーズン公式戦タイ記録を達成しました。
シーズン通しての防御率0点台も記録しました。
62試合 7勝 1敗 20ホールド 防御率0.79
ケガから復活して2018・19年は登板数増
2015年の春季キャンプ中に右肩を痛めました。
それもあってこの年の初登板は6月でした。僕の記憶では、チーム事情から「起爆剤」として無理に使われたような印象でした。
前年の活躍とは程遠い姿で失点を重ねることが多かったです。
7月29日に出場選手登録を抹消され、8月11日には右肩の手術をしました。
全治5か月を要する手術でした。
この手術を前にオリックス球団からNPBの野球協約で定められた制限を上回る減額率を適用することが比嘉に通告されました。
4500万円減の1500万円で契約更改しました。
2018年・2019年は登板数が40試合を超えて徐々に神っていたころの比嘉の面影が見えてきています。
ピンチの場面で登板して、仕事人のように打者を仕留めてベンチに帰る比嘉の姿を再び見たいと思います。



人柄
ここからは野球の成績面以外にも目を向けていきます。
チーム最年長
山崎勝己と並んでチーム最年長です(38歳)
若い選手が多いオリックスで、ブルペン人に限らず投手陣のリーダー的存在です。



若い選手がのびのびプレーできる雰囲気づくりに心を砕いています。
「悪い時ほど明るく」がモットーで2020年にドラフト1位でオリックスに入団する宮城大弥には「厚着すること」と助言しています。
まとめ
今回は、オリックスの投手陣のリーダー比嘉幹貴選手の紹介記事を書きました。
2014年の神がかった成績が目立ちすぎていますが、ここ2年は登板数も多くなっていて復活の気配が見えています。
この記事の最初にある動画の超スローカーブのイメージが強いです。
50キロの緩急で打者を抑えてベテランらしさを見せてほしいなと思います。
地味に多い沖縄出身の選手のリーダーでもあるようです。
もし万が一、比嘉が打席に立つと沖縄バージョンの応援歌が流れると観客は湧くと思います。






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