今回は、オリックスベンチの空気を一変させた男【辻竜太郎】一軍打撃コーチの紹介記事です。※以下、敬称略
オリックスファンになりたての方に向けて書いていますが、オリックスファン歴が長いぜという方にも「意外な発見」があったら良いなという想いも持って記事を作りました。




オリックス 辻竜太郎【ベンチのムードを一変させた男】
生年月日:1976年6月8日
出身地:大阪府箕面市
身長・体重: 180cm 80kg
投球・打席:右投左打
ポジション:外野手
2001年ドラフト8位でオリックスブルーウェーブ入団。
出典元Youtube パーソル・パ・リーグTV公式 2020年8月22日 オリックス対埼玉西武 試合ダイジェスト より引用
★ジョーンズのホームランの後、誰よりも前に出てはしゃいでいるのが辻竜太郎コーチです。★
プロ入り前
辻竜太郎一軍打撃コーチがプロ野球選手になるまでを振り返ります。



4歳~松商学園
大阪府の箕面市で生まれました。
父親である辻哲也が中日ドラゴンズに在籍していたため「竜太郎」と名付けられました。
父親の影響で4歳ごろから野球を始めました。
始めは投手を務めていました。
中学3年の時に甲子園で上田佳範の活躍を見て松商学園での進学を決めました。
※上田佳範は現在DeNAでコーチをしています。※
松商学園に進学後は外野手に転向しました。
1年夏から4番を務め、2年夏には甲子園に出場しました。
初戦で長崎日大と対戦し、9回に同点への足掛かりとなる長打を打ったものの延長のすえに敗れました。
明治大学~ヤマハ
明治大学に進学して1年からレギュラーとして活躍しました。
1年秋には、のちにプロ入りする先輩選手が4人ほどいるなかで「4番レフト」を任されていました。
4年になると主将を務め、春季リーグ戦ではリーグ3位となる打率.367を記録しベストナインに選ばれました。
同じく4年秋にも打率.311でベストナインに選ばれています。
81試合 打率.280 4本塁打 39打点
大学卒業後はヤマハに進みました。
1年目の1999年2月にはアマチュア全日本候補選手としてジャイアンツのキャンプに参加しました。
キャンプでは長嶋茂雄監督から直々に打撃指導を受けました。
同じ年の都市対抗では若獅子賞を受賞しました。
※若獅子賞・・・新人賞にあたる※
翌年(2000年)には都市対抗で2試合連続ホームランを打ち、社会人ベストナインに選ばれました。
2001年ドラフト8位でオリックスブルーウェーブに入団しました。



プロ入り後
ここからは辻竜太郎1軍打撃コーチのプロ1年目(2002年)から振り返ります。
オリックス時代
登録名「竜太郎」としてプロの人生を歩み始めました。
1年目は34試合に出場しました。
2年目(2003年)は大島公一とともに自主トレを行いました。
その自主トレで野球に対する高い意識に大きな影響を受けたと話しています。
2003年は79試合に出場し7ホームランを打ちました。
特に岩隈久志から打ったプロ入り初ホームランはプロ野球人生で一番の思い出となっています。
2004年は規定打席に到達していませんが、打率.325を記録。
オリックスブルーウェーブとして最後の試合となる近鉄バファローズ戦では、勝ち越しの3ランホームランを打ちました。
しかし、2004年は出場52試合にとどまりました。
シーズン後の「分配ドラフト」では楽天への移籍が決まりました。
分配ドラフト・・・近鉄バファローズとオリックスブルーウェーブが合併し、東北楽天ゴールデンイーグルスが新しく誕生したことにより行われた。
初めにオリックスが25選手をプロテクトした状態で、楽天⇒オリックス⇒楽天の順に20人ずつ指名。残った選手はオリックスに分配された。
楽天時代
2005年の開幕前に初代楽天の監督だった田尾安志から「粗削りだが理想的」と打撃を高く評価されたが、守備が課題とされた。
楽天のファンサイトではレギュラーとして予想されたが、31試合の出場にとどまった。
2006年は打撃こそ好調だったが、守備・走塁の技術不足が露呈し出場機会がさらに減ってしまった。
2007年、オープン戦は好調だったがシーズンに入るとチャンスを生かせずオフには戦力構想から外れて退団となりました。現役続行を目指し12球団合同トライアウトに挑戦したがNPBで獲得球団は現れませんでした。
BCリーグ・信濃時代
2008年から高校時代を過ごした長野県を本拠地とするBCリーグ・信濃グランセローズに打撃コーチ兼任で入団しました。
シーズンオフに再び12球団合同トライアウトに挑戦したが、NPB復帰はなりませんでした。
2009年、引き続き打撃コーチ兼任という立場ながら首位打者に輝きました。
2011年から選手に専念しましたが、2013年から再びコーチ兼任となりました。
2014年5月30日の福井との試合でBCリーグ史上2人目となる通算400安打を達成しました。
6月21日にコーチ専任となりましたが、7月2日に再び選手登録されました。
7月21日の試合後に、監督である大塚晶文がBCリーグ憲章に反する行き過ぎた指導があったとして、活動自粛になりました。
その結果、7月25日~29日までの4試合で監督代行を務めました。
※3勝1敗でした※
2014年10月14日に現役引退が発表されました。
現役引退後
引退後を振り返ります。
オリックス復帰
現役を引退したと同時に2015年から古巣・オリックスに指導者として復帰することが発表されました。
2015年 2軍外野守備走塁コーチ
2016年~ 2軍打撃コーチ
2020年8月21日~ 1軍打撃コーチ



人柄
ここからは野球の成績面以外にも目を向けていきます。
一軍に呼ばれて注目度が爆上がり
2020年8月21日からコーチ陣の大シャッフルが行われました。
一軍打撃コーチに配置換えとなった辻竜太郎。
首脳陣が刷新された試合から、にわかに注目を集める存在になりました。
「ベンチのムードを一変させたのは辻竜太郎コーチのおかげ」
という声が上がるほど、得点シーンでは選手の誰よりも喜びを表しています。
福良GMから「ベンチを明るくしてほしい」というメッセージが込められたシャッフルだと記事にありましたが、その通りの人選だったと思います。



まとめ
今回は、コーチ陣のシャッフルによって注目度が爆上がり中の辻竜太郎一軍打撃コーチの紹介記事を書きました。
恥ずかしながら、辻竜太郎という人物について全く知識がありませんでした。
【ベンチのムードを一変させた男】という印象だけでした。
独立リーグでの最後の年2014年は激動の一年を過ごしていますね。
コーチ兼任の選手・コーチ・監督代行など様々な立場を経験しているという強みも持っていると思いました。
この記事を書いているのは、中嶋監督代行に代わって2連勝した夜です。(2020年8月22日)
負けが込みだした時にベンチの雰囲気がどうなのかを注目する事になるでしょう。
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