「最近、人気が落ちてきている」と言われるプロ野球。そんな中、ファンの数が一番少ないと言われることも珍しくないオリックスバファローズ。

私はそんなオリックスバファローズを応援しています。ファンクラブにも毎年入会しています。今回は、12球団ある中でなぜオリックスバファローズを応援しているのかを書いていこうと思います。
~オリックスファンになるまでの道のり~
- イチロー
- 身内がオリックスバファローズの選手だった
- 後藤駿太選手
- チームカラー
- 行こうと思えば行ける距離
それでは一つ一つ説明していきます
1.イチロー
私のように昭和末期に生まれ子供時代プロ野球が好きだった人たちは、小学校低学年のころ阪神淡路大震災を経験しています。ちょうどその時期に神戸を本拠地にしていたオリックスブルーウェーブはリーグ優勝をしました(二連覇)。
当時は今のようにネット環境も全く整備されておらず、パ・リーグの試合を見ることは困難を極めておりました。しかし、そんな状況でも一躍有名になった選手がいました。
それがイチローです。
2019年3月21日に引退しましたが、野球に興味のない人でも知っているという人がほとんどというくらいの選手です。
イチロー(だけじゃないですが)の活躍でオリックスブルーウェーブはリーグ優勝をしました。震災直後の神戸の町に元気・勇気を与えることとなりました。
日本シリーズになると、テレビ中継でイチローを見ることが出来ました。今でも珍しい「振り子打法」でヒットを量産するイチローの姿に私の眼はくぎ付けになりました。
とはいえ、まだまだオリックスファンを名乗るほどではありませんでした・・・
2.親戚がオリックスバファローズ入団
私が高校時代に「親戚にオリックスバファローズの選手がいる」ということを知ります。
一軍で活躍した時期は長くはありませんでしたが、新聞で試合に出たのか、ヒットを打ったのか等を気にして見るようになりました。
親戚と言っても、会ったことはありませんでした。ですが、身内にプロ野球選手がいるということは当時の私にとっては誇らしいことでもありました。
少しずつオリックスバファローズが身近な球団になりつつありました
3.後藤駿太選手
最初の項目にあったイチロー選手がメジャーリーグでバリバリ活躍していたころ、日本では「○○(地域)のイチロー」と紹介される選手がたくさんいました。
後藤駿太選手は前橋商業高校時代、甲子園に出場しました。
その時「上州のイチロー」と紹介されていました。
高校生とは思えない強肩、俊足を生かした守備。
1番打者として甲子園に出場していました。3塁到達タイムの速さも取り上げられていました。
他にも「○○のイチロー」はいましたが、どういうわけか後藤駿太選手を注目し甲子園大会での試合もテレビで見ることが出来、その試合で活躍しました。
そんな後藤駿太選手は2010年ドラフト会議で
オリックスバファローズにドラフト1位で指名されました。
2011年の開幕戦で張本勲以来となる52年ぶりに
「高卒新人外野手の開幕スタメン」を勝ち取りました。
まだまだ、パ・リーグのニュースは少ない時代でしたが、このことはニュースになりました。
プロ入りすぐでも守備・肩は目を見張るものがありました。
4.チームカラー
プロ野球のチームにはそれぞれチームカラーというものがあります。
オリックスバファローズは「ネイビー」
広島カープは「赤」、阪神タイガースは「黄色」というようなものです。
元々、ネイビーが好きだった私はオリックスバファローズのユニフォームなどを必然的に好きになりました。
今では、服やスマホケースなど私の周りはネイビーだらけと言っても過言ではありません。職場でもネイビー好きは周知の事実となりつつあります。
5.本拠地が大阪・神戸
四国に住んでいる私にとってプロ野球は遠い存在です。
プロ野球を見に行こうと思うと甲子園・広島マツダスタジアム・京セラドーム・ほっともっとフィールド神戸
この四つが近い球場ということになります。
その四つの球場を本拠地としているチームは
・阪神
・広島
・オリックス
この中からどのチームにするか・・・を考えました
チームカラーが好きなネイビー
親戚が入団していた時期がある
イチローが所属していた
後藤駿太選手が所属している
遠いけど、他と比べると近くて行こうと思えば行ける神戸・大阪を本拠地にしているオリックスバファローズの試合は見に行ける。
そういうことでオリックスバファローズを応援するようになりました。
2020年1月現在、最もリーグ優勝から遠ざかっている球団になってしまっています。
オリックスを応援している。と言うと「何で??(弱いのに・・・)」と言われることは日常茶飯事ですが、優勝することを信じて応援し続けていこうと思います。